KAF History

KAWAGUCHI ART FACTORYの経営母体である日本金属鋳造工業(株)の過去と現在の画像を対比しながら移り行く情景をご紹介します。
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最初は当KAFサイトのトップページでお馴染みの写真。1970年代後半の日本金属 鋳造工業のキューポラ(鉄の溶解炉)、操業当時3基あった内の主に使っていた1基 です。2階建て建物の屋根を突き抜けて鉄製円筒状の炉が立っている構造で、2階 部分に鉄材や資材をチェーンブロックと呼ばれる小型のクレーンで上げ、炉の横穴 から投入します。現場言葉で「吹き床」(フキドコ)と呼ばれていた場所です。 周囲に資材等が散乱していますが、場所が広くある分どうしても無造作に物を置きがちに なり概して昔の鋳物屋はこんな状態でした。勿論、昔から整理整頓の行き届いた工 場もありましたが。1980年に鋳造部門を閉じる際に併せて規模縮小の為、このキュ ーポラ及び建物は解体され土地の一部は売却、現在は隣接の8階建てマンションになっています。 キューポラの詳しい解説は 川口ヒストリーの言葉 をご参照下さい。


角度や場所が微妙に異なりますが、上の写真に近い場所からの現在。
右下、逆三角屋根の工場の前、右のマンション付近が「吹き床」があった場所。 左下の斜めに見える2階建ての保育園もそそり立つエルザタワー55もかつては無く、 日本ピストンリング(株)の工場がありました。日本ピストンリングは1931年(昭和6年) 創業、川口工場は1934年元郷に陸軍省・海軍省指定工場として開設されました。
逆三角屋根の左、幅広い屋根の工場は昭和16〜17年頃に日ピスが建てたもの。
詳細は Motogo History をご参照下さい。
現代の川口を象徴する高層マンションに挟まれた「かつての象徴=工場」を切り撮ってみました。


「吹き床」に近づいた別角度のカット。昭和40年代後半かと思われ、それぞれの持ち 場で作業する様子が伺えます。建物内の中央左寄りに直立している円筒状のキュ ーポラが下から上に伸びているのが分かり、右下部から流れ出て白く見えるのはノロと呼ばれるスラグ(不 純物)、帽子を被ってこちらを見ているオジサンが雑役(ザツエキ)という造型や仕上げ などの専門工ではなく現場作業全般をこなす人で、この後ノロが少し冷えて固まっ た頃に鉄の引っ掻き棒やスコップで写真右方向にあるノロ溜めに移動させる。ノロは いわば溶岩の様なもの。2階部分の二人は鉄材料や資材を投入する係。


2階部分で鉄材料などを投入する様子。パイスケという竹を編んだ器に鉄やコ ークス、石灰石などをあらかじめ入れて置き、溶解の頃合いを見ながら投入します。 パイスケの語源は英語の「バスケット」が訛ったものとも言われますが定かではありませ ん。鋳物工場では重量物で傷みが激しい為、後に鉄板製に替わり小物の運搬など に使われます。このキューポラへの投入作業はその後、鉄製の細長いバケットを作 りチェーンブロックを使って投入する方法に変わりました。石灰石を投入する理由は 鉄が溶けた時に出る不純物が熔けた石灰石と融合して純鉄とより分離しやすくする 為です。不純物=ノロは鉄に比べて比重が軽い為、炉の下部に溜まる溶鉄の上部 に浮いた状態になり、送風口に近いハナと呼ばれる覗き穴から炉の中を確認しなが ら溜まり具合を見て時々抜き出します。 ノロが吹き出している様子


出湯口から溶鉄を出しているところ。粘土状の土をあらかじめ穴に詰めてあり、そこ を鉄の棒でハンマーで叩いて貫通させ湯を抜き出します。所定の量を抜いたら今度 は木の棒の先に粘土を付けて穴にグイッと押し付けて湯を止めます。「吹き前」(湯 が出る所)で湯を出したり止めたり、涌き加減や状態、更にキューポラ全体を管理す る役の人を「焚き屋」(タキヤ)とか「栓止め」(セントメ)などと呼びます。「焚き屋」は文 字通り湯を焚く意味で、「栓止め」は吹き前で湯の栓を抜いたり止めたりするから。 会社の従業員ではなく専門職であちこちの鋳物屋さんの吹きの日に出向いて仕事 をします。吹きの終った後の始末や、吹きの無い日にキューポラ内部の耐火煉瓦の 補修などもします。 湯を止めているところ
クレーンで吊る様な大きな取鍋(トリべ)に湯を受ける時は、左側の土間を深く掘り込 んだ場所に取鍋を沈めて受けます。
湯出し2   湯出し3